無知であることを知る。

なぜ、おとなになってからのほうが勉強が楽しいのだろうか?
 
先日、フジテレビ『ボクらの時代』に出演されていた久米宏さんがおっしゃっていたけれど、わたしもまったく同じことを思う。
 
年齢を重ねるほど、どんどん勉強への意欲が出てくるのだけれど、おとなは勉強だけしているわけにはいかないので、なかなか時間が取れないのがもどかしい。
 
そんなくせして、電車の中でむずかしそうな本を読んでいる人を見かけると、意味もなく焦ってしまったりする。(そんなときにかぎって、自分はスマホでゲームしてたりする)別に、誰からも「勉強しなさい!」って怒られるわけではないのにね。
 
反対に、毎日毎日、勉強する時間を与えられている学生時代には、なかなか楽しいと思えない。
 
勉強をするふりをして、ついマンガや雑誌に手が伸びたり、ノートの空きスペースにくだらないイラストやポエムみたいなものが量産されたりする。そして、くだらないのに、それは勉強の何倍も楽しい。
 
おとなになるにつれて、世界がどんどん広がっていく。極端な言い方だけれど、家と学校が世界のすべてだった小学生とはちがう。世界には自分が知らないことが無限のようにあることを知る。そして、いまさらながらに知りたくなる。知りたい気もちが好奇心であり、知ることが勉強となる。
 
義務教育や受験のために“やらされる”勉強とはちがうから、おとなの勉強はとても楽しいんだろうな。
 
ただ、いまの時代、情報があふれすぎていて、自分が勉強したことが、果たして本当に正しいのかわからないところが、少し怖い。
 
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「1+1=2」と正解がはっきりしている勉強ではなく、どこにも正解が見当たらないようなことを知り求めたくなるのが、おとなの勉強の特徴かもしれないですね。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
手嶌ゆり子でした。