『八月の路上に捨てる』 伊藤たかみ

2006年芥川賞受賞作品。表題作である『八月の路上に捨てる』は、いまがまさに八月であるような暑さ、だるさをまといつつ、そこらへんに落ちているであろう日常をすくいあげ、時折ハッとさせられる表現でていねいに描かれている。
 
『八月の路上に捨てる』の軸となる、3人の登場人物がいる。シングルマザーで生活のために自ら重労働を引き受ける水城さん、彼女の職場の後輩で明日離婚予定の敦、その妻の知恵子。
 
物語は、水城さんと敦による会話と、敦の回想から成り立っていて、一組の夫婦がどのように離婚に至ったのかが語られるのだが、わたしはどうも物語の中に入りこむことができなくて、それはなぜなんだろうと、考えてみた。
 
  • 夢を追いかけること。
  • 夢は夢のままで終わる現実。
  • 他人の夢を応援すること。
  • それが羨望から妬み、僻みに変わる瞬間。
  • 何をしても言っても、伝わらない想い。
  • 気もちと裏腹に飛び出る嫌味な言動。
  • 自分で選んだはずなのに、誰かにそこに立たされているような苛立ち。
  • うまくいかないことを人のせいにして、人を傷つけ、けれども事態は好転せず、今度は自分のせいにして、自分を傷つけること。
 
少なからず、わたしにも身に覚えのある痛み、目を背けたくなるような苦しみが、そこにあるからだ。だから、入りこめない。立ち向かえない。わたしもまだまだの人間なのだ。
 
離婚にかぎらず、何かが壊れていくときは、作者のことばを借りると「百も二百もの目に見えない選択肢」があって、修復できるかもしれないポイントで往々にして選択を誤り、哀しい結末を迎えてしまうのだろうと思う。
 
ゲームのように何度でも選択をやり直せたらいいのだろうけれど、それができないからこそ人生なのだ、と必死に生きるしかないのだろうな。
 
そして、必死に生きていれば、水城さんのように“人生の進展”が待っているかもしれない。そのあたりはぜひ、本を手にとって、確かめてみてください。
 
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この本を読んで、昨年話題となったドラマ『カルテット』を思い出しました。松たか子さんと宮藤官九郎さん演じる夫婦が壊れていくさまが、たった一話(約50分)で描かれていて、それもすごく納得のできる内容ですごいな~と思い、こころが痛いのに何回も観てしまいました。
 
そういえば、『八月の路上に捨てる』も『カルテット』も登場人物たちの今後が気になる終わりかたで、全員、割とダメなタイプの人間なんだけど、どこか憎めない人たちなんだと思います。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
手嶌ゆり子でした。